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- 2009.09.24 Thursday
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アントニ・ガウディはサグラダ・ファミリアの設計者で有名です。アントニ・ガウディはバルセロナ南西の商業都市レウスに銅板機具職の子供として生まれました。 アントニ・ガウディは16歳でバルセロナ県立建築専門学校予科に入学します。アルバイトをしながら何とか学校を卒業したアントニ・ガウディは、内装や装飾の仕事を始めます。 アントニ・ガウディの卒業設計を見た、当時教授だったフランシスコ・ビリャールは「悪魔か、天才か」とつぶやいたそうです。 フランシスコ・ビリャールは後のサグラダ・ファミリアの初代主任建築家です。 アントニ・ガウディが仕事を始めた頃、アントニ・ガウディの建築センスの良き理解者であり、生涯の友となる資本家アウゼビ・グエルと出会います。 アウゼビ・グエルはパリ万博に出品された手袋店のショーケースを見て、アントニ・ガウディの才能に気づき、アントニ・ガウディの想像力を引き出すかのように次々と斬新な計画を持ち掛けました。 グエル邸、グエル公園、コロニア・グエル教会など、アントニ・ガウディの建築にはいくつもグエルの名前が冠してあります。 途中で建築が中止されてしまいましたが、コロニア・グエル教会地下聖堂はアントニ・ガウディの最高傑作と言われています。
1883年、アントニ・ガウディはサグラダ・ファミリア聖堂の主任建築家に任命されます。それ以後、アントニ・ガウディはサグラダ・ファミリア建築に力を注ぐようになります。1917年からはサグラダ・ファミリア建築以外の仕事は全て断り、サグラダ・ファミリア建築のためだけに尽力し身なりにも気遣わなくなっていたそうです。 この頃のアントニ・ガウディはサグラダ・ファミリア教会に寝泊りし、あまりにもみすぼらしかったので道行く人からも小銭を投げられることがあったそうです。その小銭も建築資金として大事に扱っていたというので相当の執念を持って、サグラダ・ファミリア建築に取り組んでいたことが伺えます。
アントニ・ガウディの建築は曲線と細部の装飾を多用した独創的なデザインで、多くの建築家や芸術家に影響を与えた。 アントニ・ガウディはサグラダ・ファミリア東側の「生誕のファザード」を手がけますが、西側の「受難のファザード」は、アントニ・ガウディのデザインの対極を行っているように感じられます。 しかし、アントニ・ガウディ自身は、「この聖堂の建築を通じて、世界中から多くの人々が集まり、一つの目標に向かって共同で作業すること」を何よりも重視していたそうです。 そのため、アントニ・ガウディにとっては、細かいデザインは、自分の意の通りになっていなくても何ら問題ないのかもしれませんね。
1926年6月7日夕刻、ガウディはバルセロナ市内で路面電車にはねられます。まるで浮浪者のような格好だったために病院に収容されるのが遅れてしまったそうです。そして10日午後5時、市内サンタ・クルース病院で死去します。遺体はサグラダ・ファミリア聖堂に埋葬されました。 「諸君、明日はもっといいものをつくろう」 というのが、ガウディがサグラダ・ファミリアに残した最後の言葉で、死ぬときに言った言葉は 「我が神よ。我が神よ」 だったと伝えられています。 サグラダ・ファミリアの天井は天に向かって続いています。
サグラダ・ファミリア西側の「受難のファサード」には、イエスの最後の晩餐から磔刑、昇天までの有名な場面が彫刻されている。サグラダ・ファミリア東側とは全く異なり、現代彫刻でイエスの受難が表現されており、左下の最後の晩餐から右上のイエスの埋葬まで「S」の字を逆になぞるように彫刻が配置されている。
サグラダ・ファミリア西側の「受難のファサード」は、最後の晩餐→ペテロとローマ兵たち→ユダの接吻と裏切り→鞭打ちの刑→ペテロの否認→イエスの捕縛→ポンティウス・ピラトゥスと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ→イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス→賭博をするローマ兵→イエスの磔刑→イエスの埋葬と復活の象徴、そして鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエスといった具合に彫刻が配置されている。
サグラダ・ファミリア西側の「受難のファサード」は、担当した彫刻家ジョセブ・マリア・スキラッティ氏の作風により、直線を基調としたこの彫刻となっている。更に、サグラダ・ファミリア西側の「受難のファサード」は新しいコンクリート造りである。自然界の素材を重視し曲線を愛したガウディのセンスからはあまりにもかけ離れていて、石組み造りとも違うので、びっくりする人もいるかもしれない。
サグラダ・ファミリアの東側にある生誕のファサードは、キリストが生まれてから初めて説教をするまでの様子を彫刻で表現している。サグラダ・ファミリアの生誕のファサードは3つの門によって構成される。左門が父ヨセフ、中央門がイエス、右門が母マリアの象徴である。
サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、中央の門を構成する2本の柱の土台には「変わらないもの」の象徴として亀が彫刻されている。この2本の柱はヨゼフの柱とマリアの柱を表し、ヨゼフの柱には海亀、 マリアの柱には陸亀がそれぞれ彫刻されている。亀の甲羅の半球的形態は宇宙を表している。サグラダ・ファミリア聖堂はその宇宙の上に聳え立つ。「サグラダ・ファミリアを、亀のようにゆっくりと、しかし、休まずに作り続けて行こう!」という、ガウディのアツいメッセージも込められているそうだ。また、亀の彫刻は、実は雨樋としての機能も果たしている。サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサードに降った雨水が2本の柱に集められ、その中を通過して、亀の口から吐き出されるという仕組みになっている。
サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、イエスの誕生の彫刻のすぐ下には、ジーザスの文字が彫刻されている。それを支えている柱には、アブラハムに始まり、ヨゼフまで、新約聖書冒頭に記されたイスラエル王の家系が螺旋状に刻まれている。この柱の付け根には、リンゴをくわえた蛇がいる。蛇は創世記の楽園、エデンの園で、神が食べてはいけないと言った善悪の木の実を、女に食べるようにそそのかした罪で、腹這いの生き物にされたというエピソードがある。最初の人間であるアダムとイブが禁断の果実を食べて楽園から追放され、その原罪から人間の歴史は始まっている。その罪からは逃れられないことの象徴だとか。その上に、人間の罪をあがなう為に送られた救世主、イエスの誕生があるというわけだ。
また、サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、中央の門の両脇には「変化するもの」の象徴としてカメレオンが彫刻されている。中央門では、受胎告知、キリストの降誕、祝福をする天使、東方の三博士や羊飼い達などが彫られている。サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、左門ではローマ兵による嬰児虐殺、家族がエジプトに逃避した様子やキリストの父ヨセフの大工道具などが彫刻になっている。サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、右門には母マリア、イエスの洗礼、イエスが父ヨセフの大工仕事を手伝う様子などが彫られている。
2005年、外尾悦郎の手がけたサグラダ・ファミリア東側の生誕のファサードがアントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録された。
サグラダ・ファミリア(聖家族教会)贖罪聖堂には、完成すると18本の塔が聳える予定。ガウディが実際に目にした塔は、最初に完成した1本のみだった。今までに完成したのは12本である。サグラダ・ファミリアの北ファサード、「東側の生誕のファサード」、西側の「受難のファサード」はほぼ完成していて、あとは屋根をかける予定である。サグラダ・ファミリア南側の「栄光のファサード」は未完成である。
サグラダ・ファミリアが完成すれば、キリストの「生誕」「受難」「栄光」を表す3つのファサードに各4本ずつ、合計12本の鐘塔が建ち並ぶ。これは、イエスの12使徒を象徴している。サグラダ・ファミリアの完成図を見ると、真ん中に一段と高い「キリストの塔」がある。アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリア最高塔、「キリストの塔」の高さは172mになると言う。そして、「キリストの塔」に次ぐ「マリアの塔」が建ち、「キリストの塔」の周りに「4人の福音書記家の塔」が各1本ずつ、計4本が建つ。イエスの12使徒を象徴した12本の塔、「キリストの塔」、「マリアの塔」、「4人の福音書記家の塔」が4本。合計で18本の塔がサグラダ・ファミリア完成時に見られるというわけだ。非常にびっくりしたのだが、サグラダ・ファミリアは日の出に「生誕のファサード」、南中に「栄光のファサード」、日没に「受難のファサード」というように3つのファサードを太陽の運行と一致させているのだとか。オシャレですね〜。
サグラダ・ファミリアについて、ガウディは基本構想を立てたものの、細部はその時々に建築に関わる人の手に委ねればよいと考えていたようだ。それが、サグラダ・ファミリア東側の「生誕のファサード」と西側の「受難のファサード」の違いとなって現れている。ガウディはサグラダ・ファミリアに関して、「神は急いではいない」と語ったとされる。完成時期はまさに、神のみぞ知るのかもしれない。時代を超えて数多くの建築家や職人たちが、サグラダ・ファミリアを造り続けている。ガウディの熱意は現代にも受け継がれている。えぇ話や。
サグラダ・ファミリア完成予想図サグラダ・ファミリアは石の聖書と言われる。 サグラダ・ファミリアの設計者、ガウディは晩年キリスト教を信仰し、神に仕える建築家とも呼ばれていたようだ。 特にガウディの生前に建設された生誕の門には、鍾乳石の垂れ下がる洞窟内でのイエスの誕生から東方の三賢王のお祝いのシーンなど聖書に出てくる様々な彫刻が施されている。 サグラダ・ファミリアには、他にもユダの接吻の彫刻があり、聖家族も受胎告知もある。 サグラダ・ファミリアは、スクロヴェーニ礼拝堂同様、丸ごと聖書というわけなのだ。
サグラダ・ファミリアは聖書の逸話に精通していればしているほどに、味わい深くなる仕組みである。 ユダの接吻が見られる場所は受難の門の向かって左隅。
サグラダ・ファミリアをガウディは巨大な楽器と考えていたらしい。ガウディはバルセロナの街中に音を響かせる、サグラダ・ファミリアという壮大な楽器を創ることに、情熱を傾けた。 これは、アントニ・ガウディの弟子が残した言葉による。素敵な夢だ!!サグラダ・ファミリアという名の壮大な楽器を創るという夢を実現させるためにガウディが考えたのは鐘塔と言われるものだ。サグラダ・ファミリアはこの鐘塔に84もの鐘を吊るし、音楽を奏でる巨大な楽器になるはずだったという。サグラダ・ファミリアの鐘塔は、中に入ると螺旋階段になっていて、鐘の響きを考慮した形状だと考えられる。
サグラダ・ファミリアの生誕のファサードを手がける外尾悦郎氏も、生誕の門の鐘塔が、楽器であったということは間違いないと確信していた。
人間の創り出した芸術、彫刻、建築、音楽を含めて、
すべてのものが含まれていないと、駄目だ。
サグラダ・ファミリアのすべての造りが、音に集約している!
サグラダ・ファミリアは、キリストの声を内外に響き渡らせるベルタワー。まさに巨大な楽器である。光、彫刻、哲学、そして音楽。サグラダ・ファミリアはあらゆる美を集約した総合芸術なのだ。
『朝日の差し込む東側の「生誕の門」、
昼間の光の中のいっぱいの「栄光の門」から、
未来の街の人たちがはいってくる。
聖歌隊たちは、礼拝堂に響き渡る声で、歌うだろう。
そしてその声に合わせて、鐘がすばらしい音で唱和するだろう!』
サグラダ・ファミリアの壮大な未来の姿は、その素晴らしい音楽とともにある。
サグラダ・ファミリアに入ると、中にあるエレベーターで塔の頂上に登ることができる。以前は塔の階段を上ることが出来ていたようだが、安全上の理由からエレベーターでのみ上に行ける。エレベーターの利用料金は2.5ユーロ(約330円)。塔の上にある色のついたかざりには、イチゴやらぶどうなどの果物が山盛りになって置かれている。 サグラダ・ファミリアの塔からは、天気が良ければバルセロナの街全体を見渡せる。サグラダ・ファミリアの地下には博物館とガウディのお墓があるので、忘れずに行きたいところ。サグラダ・ファミリアの細部へのこだわりもかなりのもので、サグラダ・ファミリアを飾る彫刻、ステンドグラスの一つ一つが完成度が高く、 美しい芸術作品であるので、注目してみよう。 サグラダ・ファミリアは、角度を変えてみるとまた違う側面を見せてくれるので、サグラダ・ファミリアのいろいろな顔を見てみるのも面白い。多くの訪問者を魅了し続けている理由が分かるだろう。
サグラダ・ファミリアは年中観光客が絶えず、日によっては入場券を買うのにもかなり時間がかかってしまうこともある。サグラダ・ファミリアの内部、博物館と見る場所も多いので、観光のための時間を余裕を持ってとっておくと良い。 サグラダ・ファミリアは夜にライトアップされて、幻想的な姿を見せてくれる。サグラダ・ファミリア見学の前日の夜に、一度見ておくと良いかもしれない。
サグラダ・ファミリアが、1年に一度だけ無料開放される日がある。 なぜか、毎年開放される日は違うという…。 サグラダ・ファミリアが無料開放される日は、地元の人もたくさん訪れるので、いつもより長い行列ができる。 そして、この日にかぎっては塔の上に上れなくなる。 そのため、もし観光で訪れる予定の方は他の日にした方が良いかも。
サグラダ・ファミリアはスペインのバルセロナにある教会である。 サグラダ・ファミリアとは「聖家族」を意味する。 正式名称は聖家族贖罪教会。 サグラダ・ファミリアはアントニ・ガウディの代表作の1つで、未だに建設中ということで有名である。 民間カトリック団体「サン・ホセ協会」が、貧しい人々のために聖家族に捧げる贖罪教会として、サグラダ・ファミリアの建設を計画した。 サグラダ・ファミリアの設計は、 初代建築家フランシスコ・ビリャールが無償で引き受け、1882年3月19日に着工したが意見の対立により、翌年に辞任。 その後、2代目建築家に任命されたのが、当時は未だ無名だったアントニ・ガウディである。 ガウディは設計を一から練り直し、1926年に亡くなるまでサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組んだ。
サグラダ・ファミリアの構造は、ガウディが大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って検討したとされるが、今はサグラダ・ファミリアの設計図や模型などはほとんどない。 1936年の内戦などで消失したためである。 そのため、ガウディの死後、サグラダ・ファミリアはガウディの構想どおりにはならないため、サグラダ・ファミリアの建設を続けるかどうかの議論があった。 しかし、職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど、残されたわずかな資料を元に、時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で現在も建設が行われている。 サグラダ・ファミリアは未完成とはいえ、非常に独創的なデザインで美しいお城のような建築物なので、私個人としては、ガウディの意思を受け継いでサグラダ・ファミリアの建設に携わっている建築家たちには感謝したい。
サグラダ・ファミリアの完成まで、あと100年とか200年とか言われているが、最近、サグラダ・ファミリアの完成は2026年前後と書かれた記事もある。 実際、サグラダ・ファミリアの完成目標はガウディ没後100周年の2026年らしい。 サグラダ・ファミリアの建設資金は寄付と入場料によってまかなわれており、サグラダ・ファミリアの入場料は10ユーロ(約1300円)として集められている(2008年8月時点)。サグラダ・ファミリアは2005年に世界遺産に登録された。