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  • 2009.09.24 Thursday
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アルハンブラ宮殿のライオンのパティオ

アルハンブラ宮殿のライオンのパティオについて書きます。

ライオンのパティオのパティオとは中庭を意味します。 ライオンのパティオはアルハンブラ宮殿の中でも最も有名な中庭で、14世紀に完成しました。 パティオの中央にあるライオンの噴水から名付けられました。 ライオンの噴水は12頭のライオンが噴水を取り囲むように作られていて、かつて水時計として利用されていました。 1時には1頭のライオンの口から水が流れ、2時には2頭のライオンの口から水が流れ…という仕掛けになっていたそうです。 オシャレですね。 現在はシエラ・ネバダ山脈からの水が噴水となって湧き出ています。

ライオンのパティオに面した部分は王の居住空間で、ハーレムとなっていたようです。 124本もの大理石の柱が使われています。 大理石柱の装飾はアラビア建築の最高峰といわれています。 偶像崇拝を禁じるイスラムでは、内装に人物の絵のかわりに幾何学模様が用いらています。


ライオンのパティオの画像
ライオンのパティオ(http://f.hatena.ne.jp/marat/20060202182417より引用)

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アルハンブラ宮殿のヘネラリフェ

アルハンブラ宮殿は、王宮、カルロス5世宮殿、アルカサバ、ヘネラリフェの大きく四つの部分からなっています。 アルハンブラ宮殿を構成する一つであるヘネラリフェについて説明します。

ヘネラリフェは1319年に建てられました。 宮殿から歩いて10分くらいのところにあり、王族の避暑のための離宮として使われていました。 ヘネラリフェはアラビア語で「天の楽園」という意味だそうです。 ヘネラリフェは離宮と庭園からできていて、宮殿から谷を隔てた「太陽の丘」の上に建っています。 かつては複数の庭園があったそうですが、太陽の丘に唯一残され、最も美しかったのがヘネラリフェだったそうです。 ヘネラリフェ内はシエラ・ネバタ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水がたくさん設けられており、「水の宮殿」とも呼ばれています。 噴水は敷地の高低差を生かしたもので、溝を流れた水が一度小さな噴水になった後、再び溝に戻りさらに下にある大きな噴水に向かって流れていくという、水を大切にする気持ちが伝わってきます。 また、これにはイスラムの土木技術水準の高さを伺わせます。 天国にあるという水の庭園のイメージ通り、シエラ・ネバダ山脈から引かれた水は1年中、途絶えることなくこの庭園を潤します。

水をふんだんに使ったロマンティックな庭園、天空を刺すような糸杉、刈込まれた生垣、咲きみだれる草花、大小の池に噴水が上がる様子など、見所がたくさんあります。 ヘネラリフェの少し高い場所からは、グラナダの雄大な風景が広がっているのを眺めることができます。


ヘネラリフェの画像
ヘネラリフェ(http://blog.goo.ne.jp/haru_haru_love/e/af91f832f4156a8b5ec9308c0a418baaより引用)

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アルハンブラ宮殿のアルカサバ

アルハンブラ宮殿は、王宮、カルロス5世宮殿、アルカサバ、ヘネラリフェの大きく四つの部分からなっています。 アルハンブラ宮殿を構成する一つであるアルカサバについて説明します。

アルカサバは宮殿の西側にあります。アルハンブラ宮殿の中で最初に造られたのがアルカサバです。 軍事要塞のアルカサバはアラブ世界の軍事技術を結集させた難攻不落の要塞でした。 アルカサバ内部には、「アルマス(武器)の広場」と言われる、アルカサバの兵士たちのための住居やローマ風呂の遺跡が見られます。

アルカサバは今は廃櫨となっていますが、全盛期には24もの塔があったと言われています。 ベラの塔は現存する塔の一つで、ここに登ると、北の方角にアルバイシン、その奥にベガと呼ばれる肥沃な平野、東南の方角にシェラ・ネバダ山脈、他にもヘネラリフェ、カテドラルと王室礼拝堂など素晴らしいパノラマが展開します。

アルバイシン地区はグラナダ最古の町並が残り、王室礼拝堂には イサベル女王と夫のフェルナンド2世が眠っています。


ベラの塔
ベラの塔(http://blog.livedoor.jp/premier_cru/archives/2007-06.htmlより引用)

アルカサバからの景色
アルカサバからの景色(http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/6b/835a2cf90ce0b28da5491eecaff5eb84.jpgより引用)

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カルロス5世宮殿

アルハンブラ宮殿は、王宮、カルロス5世宮殿、アルカサバ、ヘネラリフェの大きく四つの部分からなっています。 アルハンブラ宮殿を構成する一つであるカルロス5世宮殿について説明します。

カルロス5世宮殿は王宮の南にあり、現在はアルハンブラ宮殿の中で最大の建造物となっています。 カルロス5世宮殿はコルドバにカテドラル(大聖堂)を増築したカルロス5世が、アルハンブラ宮殿に宿泊した際、イスラム建築に対抗して新しく宮殿を建てたいと希望したために建設されたそうです。 キリスト教国スペインの国王カルロス5世がグラナダ奪還(レコンキスタの終焉、1492年)後に建てたルネサンス様式の建物で、正方形の形をした建物の中心に真円形の中庭があります。 中庭の周囲は2階建の回廊で、1階はドリス式、2階はイオニア式のシンプルなデザインの柱が使われ、イスラム建築には見られない外壁の装飾や王家の紋章が印象的です。 現在、1階がアルハンブラ博物館、2階が県立美術館として利用されています。カルロス5世宮殿は音響効果が優れているため、夏に開かれるグラナダ国際音楽舞踊祭の一会場ともなっています。 カルロス5世宮殿からホテルアメリカへ向う右側に、小さなお土産屋さんがあります。そこではアラブ風衣装に身を包んで写真を撮ってもらうことができます。


カルロス5世宮殿
カルロス5世宮殿(http://tokidokicameraman.blog19.fc2.com/blog-entry-678.htmlより引用)

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アルハンブラ宮殿の王宮

アルハンブラ宮殿は、王宮、カルロス5世宮殿、アルカサバ、ヘネラリフェの大きく四つの部分からなっています。 アルハンブラ宮殿を構成する一つである王宮について説明します。

アルハンブラ宮殿の中核をなす王宮は、14世紀にユスフ1世とモハメッド5世父子の時代に建築されました。宮殿北側に位置し、歴代21人の王が4人の正妻や妾たちと生活を共にしたところです。 宮殿の質素な外観と比べると、王宮の内部は豪華そのものと言えます。「閉ざされた楽園」と呼ばれていたほど、内部は水と光と木々ときらびやかな装飾に満たされており、各部屋がパティオ(中庭)を取り囲んでいます。

「メスアールの間」では、見事な美しい絵タイルと細かいアラベスク模様を見ることができます。見晴らしの良いアーチ型の窓からはアルバイシン地区の白い家並を見渡せます。 「アラヤネスの中庭」では、細長い池と両脇の天人花(アラヤネス)の生垣の緑が整然とした空間を作っています。「アラヤネスの中庭」から「コマレスの塔」を臨むと、アルハンブラ宮殿で最も有名なショットが撮影できます。 この中庭から「バルカの間」を経て、王宮で一番広い「大使の間」に行き着きます。 「大使の間」は、王の謁見などが行われていた場所で、イスラム最後の王ボアブディアルがカトリック両王への明け渡しを決定した場所として有名です。 1829年に作家のアービングは、「大使の間」横のカルロス5世の部屋に通ずる細い通路の一番手前の部屋で、名著「アルハンブラ物語」を執筆しました。 「ライオンの中庭」はイスラム芸術の最高傑作と言われるほど美しいことで知られています。 中央に12頭の石のライオンに支えられた噴水があり、四方は大理石の柱が林立する回廊となっています。 柱と柱の間の上部はアーチで、レースのような繊密な模様が施されています。「ライオンの中庭」を挟んで一方に「アベンセラヘスの間」、もう一方に「二姉妹の間」があり、それぞれに「モカラべ」と呼ばれる鍾乳石状の複雑な装飾を埋め尽くした、息をのむほど美しい丸天井があります。その奥には、「ダラハの見晴台」があり、ボアブディル王の妻ダラハは、ここからグラナダ周囲の展望を楽しんだと言われています。後のキリスト教徒時代にカルロス5世の部屋が前方に出来た為、以後眺望ができなくなりました。 「パルタル庭園」は、「貴婦人の塔」を背景に池と花々が美しい明るい庭園です。


アラヤネスの中庭
アラヤネスの中庭(http://tokidokicameraman.blog19....681.htmlより引用)

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アルハンブラ宮殿について

アルハンブラ宮殿はイベリア半島最後のイスラム教国、ナスル朝が残した宮殿です。 アルハンブラ宮殿は、スペインのアンダルシア地方グラナダ県グラナダ市南東の丘の上に位置します。 ウマの背のような形をした丘は頂上部が長さ740m、幅205mにわたって平坦になっていて、夏場は非常に暑いと言われるグラナダの中でもとても涼しい場所に位置しています。

アルハンブラとは、「赤い城」という意味で、その由来は、城塞周辺の土地の土壌が赤いから、建築に使われた煉瓦の色が赤いから、宮殿が赤い漆喰で覆われていたからなど様々な説があります。現在では、イブン・アルハティブが唱えた、アルハンブラ宮殿増築の時に夜通しでかがり火を燃やして工事したためグラナダ平野から見上げた宮殿は赤く染まって見えたことからこのように呼ばれたという説が一般的になっています。

アルハンブラ宮殿は宮殿とは言いながらも、一つの城塞都市となっています。その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていました。その大部分はイベリア半島最後のイスラム政権・ナスル朝の時代に建設されました。アルハンブラ宮殿は異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体であり、時代により、建築様式や形状などが多種多様です。その原型はアルカサーバと呼ばれる砦だと言われていて、これは9世紀に建設されました。宮殿の建設は1238年に、ナスル朝アルアマール王の命令で着手し、それ以降21人の王たちによって増改築が重ねられていきました。王たちはアルハンブラ宮殿の造営を通して、ひたすらイスラムの美を追求していったようです。

711年、イベリア半島に進出したイスラム勢力はあっという間に半島を制圧しました。そして、1238年からアルハンブラ宮殿の建設に取りかかるのですが、15世紀末にスペインのカトリックのレコンキスタ(イスラムに対するキリスト教勢力の大攻勢)により、グラナダが陥落すると、イベリア半島は再びキリスト教制力のものになります。グラナダ陥落後、街のモスクは破壊され、カテドラル(大聖堂)が建築され、アルハンブラ宮殿の一部にも手が加わりましたが、その美しさ故に完全に破壊されることはありませんでした。 現在では、イスラムとスペインの文化の特徴が入り交じる独特の雰囲気が魅力となっています。 1984年、グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区が世界文化遺産に登録されました。

アルハンブラ宮殿のナイトビジットでは、ライトアップされたナスル宮が幻想的な世界を体験させてくれます。アルハンブラのナイトビジットは、入場者数が制限されているようです。アルハンブラ宮殿の違った側面を見てみるのも良いですね。


アルハンブラ宮殿
アルハンブラ宮殿(http://travel.jp.msn.com/special/heritage/1213/photos2.htmより引用)

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