ライオンのパティオのパティオとは中庭を意味します。 ライオンのパティオはアルハンブラ宮殿の中でも最も有名な中庭で、14世紀に完成しました。 パティオの中央にあるライオンの噴水から名付けられました。 ライオンの噴水は12頭のライオンが噴水を取り囲むように作られていて、かつて水時計として利用されていました。 1時には1頭のライオンの口から水が流れ、2時には2頭のライオンの口から水が流れ…という仕掛けになっていたそうです。 オシャレですね。 現在はシエラ・ネバダ山脈からの水が噴水となって湧き出ています。
ライオンのパティオに面した部分は王の居住空間で、ハーレムとなっていたようです。 124本もの大理石の柱が使われています。 大理石柱の装飾はアラビア建築の最高峰といわれています。 偶像崇拝を禁じるイスラムでは、内装に人物の絵のかわりに幾何学模様が用いらています。
ヘネラリフェは1319年に建てられました。 宮殿から歩いて10分くらいのところにあり、王族の避暑のための離宮として使われていました。 ヘネラリフェはアラビア語で「天の楽園」という意味だそうです。 ヘネラリフェは離宮と庭園からできていて、宮殿から谷を隔てた「太陽の丘」の上に建っています。 かつては複数の庭園があったそうですが、太陽の丘に唯一残され、最も美しかったのがヘネラリフェだったそうです。 ヘネラリフェ内はシエラ・ネバタ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水がたくさん設けられており、「水の宮殿」とも呼ばれています。 噴水は敷地の高低差を生かしたもので、溝を流れた水が一度小さな噴水になった後、再び溝に戻りさらに下にある大きな噴水に向かって流れていくという、水を大切にする気持ちが伝わってきます。 また、これにはイスラムの土木技術水準の高さを伺わせます。 天国にあるという水の庭園のイメージ通り、シエラ・ネバダ山脈から引かれた水は1年中、途絶えることなくこの庭園を潤します。
水をふんだんに使ったロマンティックな庭園、天空を刺すような糸杉、刈込まれた生垣、咲きみだれる草花、大小の池に噴水が上がる様子など、見所がたくさんあります。 ヘネラリフェの少し高い場所からは、グラナダの雄大な風景が広がっているのを眺めることができます。
アルカサバは宮殿の西側にあります。アルハンブラ宮殿の中で最初に造られたのがアルカサバです。 軍事要塞のアルカサバはアラブ世界の軍事技術を結集させた難攻不落の要塞でした。 アルカサバ内部には、「アルマス(武器)の広場」と言われる、アルカサバの兵士たちのための住居やローマ風呂の遺跡が見られます。
アルカサバは今は廃櫨となっていますが、全盛期には24もの塔があったと言われています。 ベラの塔は現存する塔の一つで、ここに登ると、北の方角にアルバイシン、その奥にベガと呼ばれる肥沃な平野、東南の方角にシェラ・ネバダ山脈、他にもヘネラリフェ、カテドラルと王室礼拝堂など素晴らしいパノラマが展開します。
アルバイシン地区はグラナダ最古の町並が残り、王室礼拝堂には イサベル女王と夫のフェルナンド2世が眠っています。カルロス5世宮殿は王宮の南にあり、現在はアルハンブラ宮殿の中で最大の建造物となっています。 カルロス5世宮殿はコルドバにカテドラル(大聖堂)を増築したカルロス5世が、アルハンブラ宮殿に宿泊した際、イスラム建築に対抗して新しく宮殿を建てたいと希望したために建設されたそうです。 キリスト教国スペインの国王カルロス5世がグラナダ奪還(レコンキスタの終焉、1492年)後に建てたルネサンス様式の建物で、正方形の形をした建物の中心に真円形の中庭があります。 中庭の周囲は2階建の回廊で、1階はドリス式、2階はイオニア式のシンプルなデザインの柱が使われ、イスラム建築には見られない外壁の装飾や王家の紋章が印象的です。 現在、1階がアルハンブラ博物館、2階が県立美術館として利用されています。カルロス5世宮殿は音響効果が優れているため、夏に開かれるグラナダ国際音楽舞踊祭の一会場ともなっています。 カルロス5世宮殿からホテルアメリカへ向う右側に、小さなお土産屋さんがあります。そこではアラブ風衣装に身を包んで写真を撮ってもらうことができます。
アルハンブラ宮殿の中核をなす王宮は、14世紀にユスフ1世とモハメッド5世父子の時代に建築されました。宮殿北側に位置し、歴代21人の王が4人の正妻や妾たちと生活を共にしたところです。 宮殿の質素な外観と比べると、王宮の内部は豪華そのものと言えます。「閉ざされた楽園」と呼ばれていたほど、内部は水と光と木々ときらびやかな装飾に満たされており、各部屋がパティオ(中庭)を取り囲んでいます。
「メスアールの間」では、見事な美しい絵タイルと細かいアラベスク模様を見ることができます。見晴らしの良いアーチ型の窓からはアルバイシン地区の白い家並を見渡せます。 「アラヤネスの中庭」では、細長い池と両脇の天人花(アラヤネス)の生垣の緑が整然とした空間を作っています。「アラヤネスの中庭」から「コマレスの塔」を臨むと、アルハンブラ宮殿で最も有名なショットが撮影できます。 この中庭から「バルカの間」を経て、王宮で一番広い「大使の間」に行き着きます。 「大使の間」は、王の謁見などが行われていた場所で、イスラム最後の王ボアブディアルがカトリック両王への明け渡しを決定した場所として有名です。 1829年に作家のアービングは、「大使の間」横のカルロス5世の部屋に通ずる細い通路の一番手前の部屋で、名著「アルハンブラ物語」を執筆しました。 「ライオンの中庭」はイスラム芸術の最高傑作と言われるほど美しいことで知られています。 中央に12頭の石のライオンに支えられた噴水があり、四方は大理石の柱が林立する回廊となっています。 柱と柱の間の上部はアーチで、レースのような繊密な模様が施されています。「ライオンの中庭」を挟んで一方に「アベンセラヘスの間」、もう一方に「二姉妹の間」があり、それぞれに「モカラべ」と呼ばれる鍾乳石状の複雑な装飾を埋め尽くした、息をのむほど美しい丸天井があります。その奥には、「ダラハの見晴台」があり、ボアブディル王の妻ダラハは、ここからグラナダ周囲の展望を楽しんだと言われています。後のキリスト教徒時代にカルロス5世の部屋が前方に出来た為、以後眺望ができなくなりました。 「パルタル庭園」は、「貴婦人の塔」を背景に池と花々が美しい明るい庭園です。
アルハンブラとは、「赤い城」という意味で、その由来は、城塞周辺の土地の土壌が赤いから、建築に使われた煉瓦の色が赤いから、宮殿が赤い漆喰で覆われていたからなど様々な説があります。現在では、イブン・アルハティブが唱えた、アルハンブラ宮殿増築の時に夜通しでかがり火を燃やして工事したためグラナダ平野から見上げた宮殿は赤く染まって見えたことからこのように呼ばれたという説が一般的になっています。
アルハンブラ宮殿は宮殿とは言いながらも、一つの城塞都市となっています。その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていました。その大部分はイベリア半島最後のイスラム政権・ナスル朝の時代に建設されました。アルハンブラ宮殿は異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体であり、時代により、建築様式や形状などが多種多様です。その原型はアルカサーバと呼ばれる砦だと言われていて、これは9世紀に建設されました。宮殿の建設は1238年に、ナスル朝アルアマール王の命令で着手し、それ以降21人の王たちによって増改築が重ねられていきました。王たちはアルハンブラ宮殿の造営を通して、ひたすらイスラムの美を追求していったようです。
711年、イベリア半島に進出したイスラム勢力はあっという間に半島を制圧しました。そして、1238年からアルハンブラ宮殿の建設に取りかかるのですが、15世紀末にスペインのカトリックのレコンキスタ(イスラムに対するキリスト教勢力の大攻勢)により、グラナダが陥落すると、イベリア半島は再びキリスト教制力のものになります。グラナダ陥落後、街のモスクは破壊され、カテドラル(大聖堂)が建築され、アルハンブラ宮殿の一部にも手が加わりましたが、その美しさ故に完全に破壊されることはありませんでした。 現在では、イスラムとスペインの文化の特徴が入り交じる独特の雰囲気が魅力となっています。 1984年、グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区が世界文化遺産に登録されました。
アルハンブラ宮殿のナイトビジットでは、ライトアップされたナスル宮が幻想的な世界を体験させてくれます。アルハンブラのナイトビジットは、入場者数が制限されているようです。アルハンブラ宮殿の違った側面を見てみるのも良いですね。
サン・ジョセップ市場は日曜日がお休みです。 基本的には朝6時から夜8時まで営業しています。 午後3時以降になると閉まってしまうお店が多いので、朝早い時間に訪れると良いかもしれません。 市場は好立地のところより、少し外れた奥の方に行くと果物やジュースも安いです。また、夕方に行くと、値引きを狙える所が出てきます。 ほとんど量り売りなので、少量でも買えます。
バルセロナでは、よく言われている言葉があります。 「ボケリアで見つからなければ、どこに行っても見つからない。」 サン・ジョセップ市場はバルセロナの象徴ともいえます。 ボケリア市場を表現する言葉を紹介します。 “常に変化し続ける小世界” “世界で最高の市場。サグラダ・ファミリアと同じく観光すべき場所” “ヨーロッパ中からプロの商人が集まる場所” “生命の爆発。古き良きヨーロッパの面影を残しながら、最も多彩でにぎやかなバルセロナの市場”
サン・ジョセップ市場には港町バルセロナらしく、豊富な魚介類をはじめ野菜、果物、肉、香料、お茶など、新鮮な食材が揃っています。珍しい食材も並び、スペイン人の食に対する強烈なこだわりを実感できます。いつも買い物客でごった返しており、奥にあるカウンター式のバルではランチを楽しむ人々もたくさんいます。 カウンター席は調理の様が見えるので飽きません。少々乱暴とも言えるくらいの手際の良さで、次々と料理が出来上がっていきます。味付けはどれもシンプルです。 肉屋には、生ハムがそのままぶら下がって売られていたり、動物の頭が売られていたりします。 魚屋では、気合の入ったおばちゃんたちが、満点の笑顔で生きてる魚介類を素手でわしづかみして売ってくれます。 えびやかになど、魚以外はほどんど生きたままで売っています。 果物屋では、様々な果物が所狭しと並べられていて、初めて目にするフルーツもたくさんあります。果物屋に売っている生ジュースは安いので一度飲んでみると良いです。また、プラスティックの容器にフォーク付きでカットフルーツが入って売られています。持ち帰ってホテルで食べるのも良いでしょう。 食いしん坊な方にとって、この市場は絶対にはずせない場所ですね。
1883年、アントニ・ガウディはサグラダ・ファミリア聖堂の主任建築家に任命されます。それ以後、アントニ・ガウディはサグラダ・ファミリア建築に力を注ぐようになります。1917年からはサグラダ・ファミリア建築以外の仕事は全て断り、サグラダ・ファミリア建築のためだけに尽力し身なりにも気遣わなくなっていたそうです。 この頃のアントニ・ガウディはサグラダ・ファミリア教会に寝泊りし、あまりにもみすぼらしかったので道行く人からも小銭を投げられることがあったそうです。その小銭も建築資金として大事に扱っていたというので相当の執念を持って、サグラダ・ファミリア建築に取り組んでいたことが伺えます。
アントニ・ガウディの建築は曲線と細部の装飾を多用した独創的なデザインで、多くの建築家や芸術家に影響を与えた。 アントニ・ガウディはサグラダ・ファミリア東側の「生誕のファザード」を手がけますが、西側の「受難のファザード」は、アントニ・ガウディのデザインの対極を行っているように感じられます。 しかし、アントニ・ガウディ自身は、「この聖堂の建築を通じて、世界中から多くの人々が集まり、一つの目標に向かって共同で作業すること」を何よりも重視していたそうです。 そのため、アントニ・ガウディにとっては、細かいデザインは、自分の意の通りになっていなくても何ら問題ないのかもしれませんね。
1926年6月7日夕刻、ガウディはバルセロナ市内で路面電車にはねられます。まるで浮浪者のような格好だったために病院に収容されるのが遅れてしまったそうです。そして10日午後5時、市内サンタ・クルース病院で死去します。遺体はサグラダ・ファミリア聖堂に埋葬されました。 「諸君、明日はもっといいものをつくろう」 というのが、ガウディがサグラダ・ファミリアに残した最後の言葉で、死ぬときに言った言葉は 「我が神よ。我が神よ」 だったと伝えられています。 サグラダ・ファミリアの天井は天に向かって続いています。
サグラダ・ファミリア西側の「受難のファサード」は、最後の晩餐→ペテロとローマ兵たち→ユダの接吻と裏切り→鞭打ちの刑→ペテロの否認→イエスの捕縛→ポンティウス・ピラトゥスと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ→イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス→賭博をするローマ兵→イエスの磔刑→イエスの埋葬と復活の象徴、そして鐘楼を渡す橋の中央に昇天するイエスといった具合に彫刻が配置されている。
サグラダ・ファミリア西側の「受難のファサード」は、担当した彫刻家ジョセブ・マリア・スキラッティ氏の作風により、直線を基調としたこの彫刻となっている。更に、サグラダ・ファミリア西側の「受難のファサード」は新しいコンクリート造りである。自然界の素材を重視し曲線を愛したガウディのセンスからはあまりにもかけ離れていて、石組み造りとも違うので、びっくりする人もいるかもしれない。
サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、中央の門を構成する2本の柱の土台には「変わらないもの」の象徴として亀が彫刻されている。この2本の柱はヨゼフの柱とマリアの柱を表し、ヨゼフの柱には海亀、 マリアの柱には陸亀がそれぞれ彫刻されている。亀の甲羅の半球的形態は宇宙を表している。サグラダ・ファミリア聖堂はその宇宙の上に聳え立つ。「サグラダ・ファミリアを、亀のようにゆっくりと、しかし、休まずに作り続けて行こう!」という、ガウディのアツいメッセージも込められているそうだ。また、亀の彫刻は、実は雨樋としての機能も果たしている。サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサードに降った雨水が2本の柱に集められ、その中を通過して、亀の口から吐き出されるという仕組みになっている。
サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、イエスの誕生の彫刻のすぐ下には、ジーザスの文字が彫刻されている。それを支えている柱には、アブラハムに始まり、ヨゼフまで、新約聖書冒頭に記されたイスラエル王の家系が螺旋状に刻まれている。この柱の付け根には、リンゴをくわえた蛇がいる。蛇は創世記の楽園、エデンの園で、神が食べてはいけないと言った善悪の木の実を、女に食べるようにそそのかした罪で、腹這いの生き物にされたというエピソードがある。最初の人間であるアダムとイブが禁断の果実を食べて楽園から追放され、その原罪から人間の歴史は始まっている。その罪からは逃れられないことの象徴だとか。その上に、人間の罪をあがなう為に送られた救世主、イエスの誕生があるというわけだ。
また、サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、中央の門の両脇には「変化するもの」の象徴としてカメレオンが彫刻されている。中央門では、受胎告知、キリストの降誕、祝福をする天使、東方の三博士や羊飼い達などが彫られている。サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、左門ではローマ兵による嬰児虐殺、家族がエジプトに逃避した様子やキリストの父ヨセフの大工道具などが彫刻になっている。サグラダ・ファミリア東側の生誕のファサード、右門には母マリア、イエスの洗礼、イエスが父ヨセフの大工仕事を手伝う様子などが彫られている。
2005年、外尾悦郎の手がけたサグラダ・ファミリア東側の生誕のファサードがアントニ・ガウディの作品群としてユネスコの世界遺産に登録された。
サグラダ・ファミリアが完成すれば、キリストの「生誕」「受難」「栄光」を表す3つのファサードに各4本ずつ、合計12本の鐘塔が建ち並ぶ。これは、イエスの12使徒を象徴している。サグラダ・ファミリアの完成図を見ると、真ん中に一段と高い「キリストの塔」がある。アントニオ・ガウディが設計したサグラダ・ファミリア最高塔、「キリストの塔」の高さは172mになると言う。そして、「キリストの塔」に次ぐ「マリアの塔」が建ち、「キリストの塔」の周りに「4人の福音書記家の塔」が各1本ずつ、計4本が建つ。イエスの12使徒を象徴した12本の塔、「キリストの塔」、「マリアの塔」、「4人の福音書記家の塔」が4本。合計で18本の塔がサグラダ・ファミリア完成時に見られるというわけだ。非常にびっくりしたのだが、サグラダ・ファミリアは日の出に「生誕のファサード」、南中に「栄光のファサード」、日没に「受難のファサード」というように3つのファサードを太陽の運行と一致させているのだとか。オシャレですね〜。
サグラダ・ファミリアについて、ガウディは基本構想を立てたものの、細部はその時々に建築に関わる人の手に委ねればよいと考えていたようだ。それが、サグラダ・ファミリア東側の「生誕のファサード」と西側の「受難のファサード」の違いとなって現れている。ガウディはサグラダ・ファミリアに関して、「神は急いではいない」と語ったとされる。完成時期はまさに、神のみぞ知るのかもしれない。時代を超えて数多くの建築家や職人たちが、サグラダ・ファミリアを造り続けている。ガウディの熱意は現代にも受け継がれている。えぇ話や。
サグラダ・ファミリア完成予想図サグラダ・ファミリアは聖書の逸話に精通していればしているほどに、味わい深くなる仕組みである。 ユダの接吻が見られる場所は受難の門の向かって左隅。
サグラダ・ファミリアの生誕のファサードを手がける外尾悦郎氏も、生誕の門の鐘塔が、楽器であったということは間違いないと確信していた。
人間の創り出した芸術、彫刻、建築、音楽を含めて、
すべてのものが含まれていないと、駄目だ。
サグラダ・ファミリアのすべての造りが、音に集約している!
サグラダ・ファミリアは、キリストの声を内外に響き渡らせるベルタワー。まさに巨大な楽器である。光、彫刻、哲学、そして音楽。サグラダ・ファミリアはあらゆる美を集約した総合芸術なのだ。
『朝日の差し込む東側の「生誕の門」、
昼間の光の中のいっぱいの「栄光の門」から、
未来の街の人たちがはいってくる。
聖歌隊たちは、礼拝堂に響き渡る声で、歌うだろう。
そしてその声に合わせて、鐘がすばらしい音で唱和するだろう!』
サグラダ・ファミリアの壮大な未来の姿は、その素晴らしい音楽とともにある。
サグラダ・ファミリアは年中観光客が絶えず、日によっては入場券を買うのにもかなり時間がかかってしまうこともある。サグラダ・ファミリアの内部、博物館と見る場所も多いので、観光のための時間を余裕を持ってとっておくと良い。 サグラダ・ファミリアは夜にライトアップされて、幻想的な姿を見せてくれる。サグラダ・ファミリア見学の前日の夜に、一度見ておくと良いかもしれない。
サグラダ・ファミリアが、1年に一度だけ無料開放される日がある。 なぜか、毎年開放される日は違うという…。 サグラダ・ファミリアが無料開放される日は、地元の人もたくさん訪れるので、いつもより長い行列ができる。 そして、この日にかぎっては塔の上に上れなくなる。 そのため、もし観光で訪れる予定の方は他の日にした方が良いかも。
サグラダ・ファミリアの構造は、ガウディが大型模型や、紐と錘を用いた実験道具を使って検討したとされるが、今はサグラダ・ファミリアの設計図や模型などはほとんどない。 1936年の内戦などで消失したためである。 そのため、ガウディの死後、サグラダ・ファミリアはガウディの構想どおりにはならないため、サグラダ・ファミリアの建設を続けるかどうかの議論があった。 しかし、職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど、残されたわずかな資料を元に、時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で現在も建設が行われている。 サグラダ・ファミリアは未完成とはいえ、非常に独創的なデザインで美しいお城のような建築物なので、私個人としては、ガウディの意思を受け継いでサグラダ・ファミリアの建設に携わっている建築家たちには感謝したい。
サグラダ・ファミリアの完成まで、あと100年とか200年とか言われているが、最近、サグラダ・ファミリアの完成は2026年前後と書かれた記事もある。 実際、サグラダ・ファミリアの完成目標はガウディ没後100周年の2026年らしい。 サグラダ・ファミリアの建設資金は寄付と入場料によってまかなわれており、サグラダ・ファミリアの入場料は10ユーロ(約1300円)として集められている(2008年8月時点)。サグラダ・ファミリアは2005年に世界遺産に登録された。